毎日がエブリデイ!

日々の雑記帳

サイレンススズカの代表的なレースといえば

 JRA電話・インターネット投票会員限定キャンペーンで当選したらしく、「JRAアニバーサリー オリジナルカレンダー」なるものが送られてきた。各月に1頭ずつ、計12頭の馬のレース写真が載っている。

 その馬たちのレース写真のほとんどがGIレースなのだが、サイレンススズカだけはGII毎日王冠だ。サイレンススズカはGIを勝っていないわけではない。宝塚記念を勝っている。

 サイレンススズカはGIを勝っているにもかかわらず、代表的なレースはGIIが挙げられることが多い、珍しい馬だ。宝塚記念武豊ではなく南井克巳が乗っていたからだろうか(南井さんが地味ということではなく、サイレンススズカといえば武豊騎手とのコンビのイメージが強い)?それとも圧勝ではなかったからだろうか?それもあるが、毎日王冠は負かした相手があのエルコンドルパサーだということも大きいのかもしれない。

 私はサイレンススズカ「強さ」ではなく「個性」に惹かれているので、毎日王冠を観た直後は物足りない気分だった。サイレンススズカといえば道中で後続を大きく引き離す「大逃げ」で場を盛り上げてくれる馬だ。しかし、毎日王冠は生で観ていたが、「普通の(強い)逃げ馬」といった感じのレースだった。ちなみに、その裏でやってた京都大賞典セイウンスカイがいつものサイレンススズカの様なレースをしていた。

 その当時は「スズカらしくないよな」と思っていた。しかし、今あらためてラップ等を見てみると、「サイレンススズカが普通の逃げ馬になっちゃった」のではなく、「エルコンドルパサーサイレンススズカほどではないが相当のスピードで飛ばしていた」のである。サイレンススズカはいつもの自分のレースをしていたのだが、次元の違う馬がもう1頭いたのだ。そのもう1頭の馬エルコンドルパサーはそれでバテずに2着に粘ったのだから大したものである。

 なお、私にとって最も印象深いサイレンススズカのレースは、勝ったレースではなく6着に敗れた3歳時の天皇賞(秋)である。当時は3歳で秋天に挑戦する馬は少なかったが、ジェニュイン、バブルガムフェローと2年連続で唯一の3歳馬が連対していた。そして、97年にサイレンススズカが出走してきた。過去2年の3歳馬ほど(この時点での)大物感はない。しかし、弥生賞でゲート潜りをしたり、神戸新聞杯で勝ったと思って余裕をぶっこ抜いている間にマチカネフクキタル(後の菊花賞馬)に差されたり、と個性派ぶりを発揮しており、そこでも何かやってくれる予感がしたので、注目していた。そして、レースが始まるとツインターボ顔負けの大逃げである。そこでは結果が出なかったが、これがきっかけで、後の大逃げというスタイルが固まった。元からその個性に注目していたが、この時の大逃げを見て「~お笑い馬劇場~ スズカがゆく」というストーリーを書き始めた*1

 もう一度書くが、私はサイレンススズカの「強さ」ではなく「個性」に惹かれているのである。そんな私にとってのサイレンススズカのベストレースは、毎日王冠でもなければ宝塚記念でもなく、紛れもない3歳時の天皇賞・秋だ。

*1:昔から私のページを見ている人はわかるかも知れないが、リアルタイムで書いている時は人気コーナーだった。