先週で春の東京競馬場の開催が終了した。今週から夏競馬となり、我がホームグラウンドでの開催がしばらくなくなる。
その東京最終週である6/23(土)には東京ジャンプステークスが行われた。そのレースで、林満明騎手が障害通算2000回騎乗という前人未到の偉業を達成した。そしてそれが彼のラストランだった。
林騎手は1番人気のアスターサムソンに騎乗した。人気は背負っていたもののビリだった。しかし、最下位のその馬がゴールした瞬間、暖かい拍手が起こった。そして、ゴール後に引き返して戻ってくると、スタンドにはもっと大きな拍手が沸き起こった。
障害レースは年に100個もレースがない。そんな中で2000回も乗るなんて全レース乗ったとしても20年以上かかる。そんな誰にも真似ができないような偉業を達成して、区切りの騎乗の時に彼は引退した。
林騎手は最近でもアップトゥデイトでJ・GIを勝っていて、昨年の個人的にベストレースだった中山大障害でもあのオジュウチョウサンと熱いマッチレースを行ったのは記憶に新しい。それでもインタビューで思い出のレースを聞かれた時に「今のレースです」と答えたのが印象的だった。
ここで私の1997年10月18日の日記を引用しよう。
今日は東京障害特別を見に府中へ。アワパラゴンは負担重量が重いということで切ったが、勝ってしまった。さすがに強いわ。
で、表彰式終了後、最前列にいた客が「林さん」と叫んで花束を突き出す。そしたら、勝利騎手である林騎手はわざわざ声援に答えスタンドのところまで来て花束を受け取っていた。そのファンは「次は京都ですか。京都障害も応援にいきますから。また関東に来て下さいね。林さんが来るときは必ず来ますから。」とかいっていた。いかにもどこにでもいそうなお調子者といった感じの男だったので、おそらく誰が勝っても同じことをしただろうが、そういうファンの声援に答えてしまう林騎手の器の大きさに感銘を受けた。
私が林騎手を知ったのはこのレースだった。この時期の障害界は私の最愛の障害馬ポレールの現役時代だった。そのポレールが出ていないうちにアワパラゴンという馬で重賞を勝った。それが林騎手であり、それ以降注目してきた。
あの当時、某競馬サイトに競馬の川柳や短歌のページがあり、そこに私が投稿した一首を紹介しよう。
まだ東京競馬場に襷コースがあった頃だ。東京競馬場での障害重賞が今よりも楽しみだった時代だった。府中の襷コースはその半年後の東京障害特別(春)で廃止になった。
あれからすでに20年か。あの時は林騎手がここまで現役を続けて2000回騎乗を達成するとは思っていなかったな。今後アップトゥデイトには誰が乗るのかが気になるところであり、できればアップトゥデイトの引退まで林さんにも現役を続けてほしかったが、長い間お疲れ様でした。