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日々の雑記帳

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ビワハヤヒデの代表産駒 シルクパイロットの思い出

 93年の菊花賞ビワハヤヒデが老衰で亡くなったというニュースが入ってきた。

news.netkeiba.com

 私が競馬を始めたばかりの頃に活躍した馬だ。同期のナリタタイシンウイニングチケットと三冠を分け合い、その3頭はBWNと呼ばれた世代だ。私はウイニングチケットが大好きだったが、ビワハヤヒデも思い出深い馬である。この世代でも存命なのはウイニングチケットだけになってしまった。

 私が一口馬主として初めて持った馬はビワハヤヒデ産駒だった。シルクパイロットという馬である。当時ビワハヤヒデは新種牡馬だったので、種牡馬としての能力は未知数だが、弟のナリタブライアンも活躍していたので血統的にも良いものを持っていると思って、ビワハヤヒデ産駒を狙ったのだった。

 そして成績はというと、2000年6月同期によるダービーが終了した後に遅いデビューをし、2ヶ月間に5走というタフネスぶりだったが、掲示板に載ることはなかった。そして、秋の福島開催に賭けたものの外傷のために使えず、未勝利のまま引退。売却されて新潟競馬に移籍となり、私の出資権もなくなった。当時のシルクは(他の一口クラブもだが)、地方移籍で再ファンドという制度がなかったのである。

 しかし、私の手を離れてから快進撃が始まった。怪我が治り復活した4歳時、新潟県競馬で6連勝という偉業を達成した。新潟時代は向山牧騎手が主戦騎手だったが、6勝目は笠松から当時の日本のトップジョッキー安藤勝己騎手が遠征して乗りに来ると言った感じでまさに新潟のスターホースだった。6勝を達成したシルクパイロットは賞金の安い新潟では満足できず、南関東の大井競馬に移籍します。そしてそこでも大井競馬のエース的場文男を背に3連勝で、新潟時代を含め9連勝という偉業を達成した。

 その活躍ぶりを見て、私の出資権がなくなってもこの馬を応援していこうと思い、Web上でシルクパイロットファンクラブというものを作った。15年間更新しておらず開店休業状態だが、一応ページは残してある。

 余談だが、9連勝の快進撃が終わった後、大井競馬場にシルクパイロットが出走するナイターのレースを観に行ったことがあるが(ちなみに私は昼は東京競馬場にいてダブルヘッダーだった)、その時に発売されて間もない三連単を買っていたら3着に来て万馬券を獲らせてもらったことがある。

 残念ながら、ビワハヤヒデ種牡馬としては成功したとはいえない馬だった。シルクパイロットが代表産駒だろう。少なくとも私にとって。
 血統評論家の水上学さんのTwitterでのツイートによると、ビワハヤヒデの父シャルードの産駒は世界的に見ても実質走ったのはビワハヤヒデだけだそうである。それを考えると水上さんのツイートにもあるように、奇跡のような活躍だったといえるだろう。ビワハヤヒデ自体は安定して強い馬だったが、血統的にはそれほど良くなかったのが種牡馬として活躍できなかった要因だろう(オグリキャップもそうだったよね)。

 しかし、シルクパイロットという面白い馬がいたおかげで、種牡馬ビワハヤヒデは私にとって想い出深い馬だ。安らかに眠ってほしい。