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日々の雑記帳

流鏑馬、川崎大師詣、そして今年初競馬

 今日は川崎に行ってきた。ここ2年間の1月3日とほぼ同じ行程である。朝、川崎駅から歩いて稲毛神社に行ってお参りし、その後、川崎競馬場で1レース前に行われているイベントの流鏑馬を見る。その後、川崎大師まで歩いて大師詣をして川崎競馬場に復帰。競馬は後半レースを勝負する。といった感じである。ちなみにタイトルで「初競馬」と書いたのは、競馬場での生観戦が今年始めてという意味ね。(自宅でネット投票では昨日すでに買っている。)

 一昨年の1月3日に出資馬のスーパーノヴァ川崎競馬場に出走した際に、イベントで流鏑馬をやっていたので、その様な行程で川崎で過ごした。その流鏑馬は1/3の恒例行事となったらしく、今年も行われたので観に行くこととした。

 まずは、駅から競馬場に向けて歩いて行く途中にある稲毛神社のお参りに行った。正月の川崎開催に行くときはたいてい途中でその神社に寄っている。有名人(画家などの絵描きを生業としている人を含む)の絵馬が結構飾られている。画家の人は凝った絵を書いている人が多い。また、競馬の騎手の人も結構奉納している。

https://www.instagram.com/p/BsJyce9HD_0/
騎手の絵馬は勝負服のデザインが多い。

 なお、「キズナ」と書いてあるのはキズナのデビュー当時の騎手である佐藤哲三元騎手である。武豊騎手ではない。念のため。

https://www.instagram.com/p/BsJykz9nCva/
勝負服絵馬シリーズその2

https://www.instagram.com/p/BsJysv8HzZV/
デムーロやルメールも絵馬を奉納

 「4000勝」と書いてあるのが武豊騎手、その左が藤田菜七子騎手。菜七子ってローマ字でサインするんだね。

 その後、川崎競馬場へと向かった。競馬場には流鏑馬開始時刻ギリギリに到着したが、どうにか間に合った。流鏑馬とは馬に乗った射手が的を射る神事である。府中の大國魂神社でやるのは毎年観ているのだが、大國魂神社の境内で行われる流鏑馬は、コースの距離の関係で的は2つである。今回は競馬場のコース約200mを使って行われるので的が3つ設けられている本格的なものだ。

https://www.instagram.com/p/BsJ2oojn-tA/
流鏑馬

 ちなみに、上の写真の時の騎射は見事に的中した。

https://www.instagram.com/p/BsJ4HCSn6N_/
流鏑馬で戻って来る騎馬。走ってるとこより画質がいいのでこちらも載せます。射手の陣羽織がかっこいい。

 動画も撮ったので載せておこう。


2019/1/3 川崎競馬場 流鏑馬


 その後は歩いて川崎大師へと向かった。歩くと結構あるが、私鉄の駅2つ分なので歩いていけなくはない。

 川崎大師は相変わらずすごい人である。それでも3日なのでまだいいが、元旦だと物凄い人なのだろう(元旦には行ったことないけど)。

https://www.instagram.com/p/BsJ-wnMn13B/
本堂

 というわけで川崎大師で初詣をする。その後は仲見世などをぶらつき、競馬場へと戻る。

 馬券は7レースから参戦。7レースでグランド牧場生産で佐々木仁厩舎のゼットパッションを軸に馬複流しを勝ったら。見事にその馬が勝った。相手も持っているので的中である。 軸馬が勝ったのだから馬単にしておいても良かったかも。

 幸先の良いスタートを切ったのだが、その後は見事に外れ続ける。そして今日のメインレースである報知オールスターカップ。本命はジャーニーマングランド牧場生産の馬で、ホッカイドウ競馬でデビューしてその後南関に移籍した馬である。近走成績が良くなく年齢的に上積みも厳しいナガラオリオンだけは切って、その他の馬すべてに流した。

https://www.instagram.com/p/BsKe_3GHMyV/
ジャーニーマン

 レースはジャーニーマンが果敢に逃げた。しかし、トキノパイレーツが後ろからつつくように絡んで行く。ジャーニーマンは先頭をキープしていたものの、4コーナーで終了。9着に終わった。勝ったのは1番人気のヤマノファイトで2着は2番人気のタービランスと人気を集めていた2頭のワンツーで決まり堅い決着となった。

 その5分後に行われたばんえい帯広のメインレースである5歳重賞天馬賞(BG1)の馬券も買っていたので、ばんえいコーナーに移動してレースを観戦。本命はミノルシャープ としたが、第二障害で膝をついて終了。昨日の帯広記念でも本命のコウシュハウンカイが同じ様なレースをしたな。2日連続で本命馬が第二障害で膝をついて惨敗するとはね。

 馬券を買った最初のレースは的中したものの、メインが終わった時点ですでに収支がマイナスになっていた。起死回生を賭けた最終レースは馬複1着3着となり、結局マイナスのまま。ノーホーラよりはマシだが、失意のまま競馬場を後にすることとなった。