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毎日がエブリデイ!

日々の雑記帳

そりゃぁ毎日はエブリデイですが・・・ (タイトルの由来はこちら  

「ネット原住民」とは

 ある本を読みながら思ったことを Twitter で書いていたら長くなったので、ブログ記事としてまとめてみる。

 「角川インターネット講座 (4) ネットが生んだ文化誰もが表現者の時代」の序章にネット原住民は「非リア充でオタクで暇でニートで引きこもりで炎上させることを楽しむ奴」みたいな書かれ方がされていた。これって「ネット原住民」ではなく典型的な(初期の)2ちゃんねらーだよな。インターネット黎明期である95年からネット上で活動している本当の意味での「原住民」な私からみたらかなり違和感がある表現だ。

 この手の本は始めに2ちゃんねるありきで、それ以前の古き良き時代はネットにはなかったという前提で書かれてるのが多い気がする。ひどいのになると「インターネットの歴史」と銘打ってほとんど2ちゃんねるの歴史が書かれていたりするし。「2ちゃんねる≒インターネット」じゃないつーの!

 こないだ読んだ別の本には「Facebookは学生の間のコミュニティが一般にも開かれたという歴史を持ち、本名を出す文化であることが通常のネットと異なる」ということが書いてあった。それこそまさに黎明期のインターネットそのものなのに…。もともとインターネットは主に大学生や大学院生が研究室(学校によっては学校の計算機センター)で始めて、WWWというものが登場したら爆発的に普及して、そこから一般にも広まっていったという経緯がある。インターネットが主に大学でやるものだった時代は本名文化だった*1。だから日本の(おそらく先進国全ての)インターネットの生い立ちとFacebookの生い立ちって結構似てるんだよね。その本にはまるで異文化のような感じで書かれていたけど。

 そしてその後、匿名文化であるパソコン通信をやってた人が参入してきてから、インターネット上で本名出さない人が増えた。それと同時に2ちゃんねるのような匿名掲示板が登場して、本名どころかコテハンすら出さない人もネット上で発言するようになりそれなりの影響力を持つようにもなった。

 真の意味での「ネット原住民」とは2ちゃんねるとかが登場する以前(90年代の中頃)からネット上で活動している人だと思う。だからその本を読んだ時に「ネット原住民はこれこれこういう人で」みたいなことが書かれていて、自分のことを言われている気がして「それは絶対違うぞ!」と思ってしまった。違和感ありありである。その記事を書いた人にとっては94~97年あたりは歴史にすら値しない神話の世界だということなのだろうか?


追記:その本の名誉のために一応書いておくと、本編の第1章にはわりと「まともな」ネット文化の歴史が書かれていました。この記事で私が「そりゃおかしいだろ」って言ってるのは多くの人の共著であるこの本の内容全体ではなく、序章に書かれていた「ネット原住民」という言葉の使い方に限ってのことです。念のため。

*1:学校のものを使わせてもらっている意識もあったし学生名簿からホームページにリンクされていたからという理由もあるだろう