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毎日がエブリデイ!

日々の雑記帳

そりゃぁ毎日はエブリデイですが・・・ (タイトルの由来はこちら  

映画版「ホビット」

 先日、映画「ホビット 思いがけない冒険」を観に行った。J.R.R.トールキンの「ホビットの冒険」(原題:ホビット)の映画版であり、ロード・オブ・ザ・リング指輪物語)の前日譚である。

 私はロード・オブ・ザ・リングは映画も見たし、映画を観る前に原作の指輪物語も読んでいるのだが、ホビットの冒険は読んでいなかった。高校の時に読もうと思って本屋を探しても図書館を探しても見つからなかったんだよな。

 原作ではどうなっているのか分からないが、映画ではホビット等という種族や世界観の説明は無しに、いきなり物語が始まるといった展開だった。

 ビルボ・バギンズ指輪物語の主人公フロド・バギンズの父)が若かりし頃の話なのだが、ゴラム(瀬田貞二訳の原作ではゴクリ)から指輪を盗み出すという、指輪物語のきっかけとなったシーンがあるなど、続きがあるということを示唆させる内容だった。

 ストーリー的には「ドワーフ達と一緒に冒険に出たが、敵にやられてどうにか無事帰還してくる」という何か中途半端なものだった。

 これらが約60年後の指輪物語へと引き継がれるのだが、ホビットの冒険の原作が書かれた時は続きがあることを意図していない書き下ろし作品じゃなかったっけ?何で後の物語へと続く伏線はあるが結末は物語としては中途半端で続編があることを示唆させる内容なんだろう?

 そう思って調べてみたら、原作者のJ・R・R・トールキンは、指輪物語との整合性を取るために二度ほど改訂を行なっているらしい。

 何はともあれ、既に指輪物語を読むなりロード・オブ・ザ・リングを観るなりしてその世界観を知っている人にとっては楽しめる作品だと思う。しかし、その世界観を知らない人が観ると何の解説も無くついていけるか疑問だし、ストーリーも中途半端に感じるかも知れない。もともとは「書き下ろし作品」の筈なのだが、続きがあることが前提の作品となってしまっている。原作は知らないが今回の映画はそんな感じだ。

 ちなみに今回の映画版「ホビット」は字幕が瀬田貞二の訳本並みの日本語訳だった。例えば「ミドルアース」が「中つ国」になってたりそんな感じ。指輪物語の映画版(ロード・オブ・ザ・リング)ではそんなことは無かったのに。ミドルアースはミドルアースのままだったし、ストレイダーが瀬田貞二訳の指輪物語だと「馳夫」となってるのが「韋駄天」となっていたりと、なんかカッコよかったのだが、ホビットでは瀬田風の訳に戻っていた。ロード・オブ・ザ・リングの方が字幕は良かったな。