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日々の雑記帳

地震

 頭の中を色々な思考が駆け巡っておりなかなかうまく文章にまとめられず書くのが遅くなってしまったが、東北関東大地震のことについて書いておく。おそらくこの日記を読んでいる人は報道機関から個人ブログまで様々なところで今回の地震の話を目にしていることと思うが、自分自身としても記憶が鮮明なうちに何か記録を残しておきたいのであえて書く。この記事はこの日記の読者に向けてというよりは、5年後、10年後、20年後の自分に向けて書くつもりである。未来の自分が過去の日記を読み返して「あの時こうだったな」と思い出すために。そのため、あくまで私の主観だけで自分自身のことを中心に書かせていただくので、つまらないし分かりにくいかも知れないがご了承願いたい。

 さて、報道などでご存知だと思うが、3/11(金)午後3時ごろ東北・関東の太平洋側を中心に観測史上まれに見る地震があった。

 地震が起きた当時、勤務先である大井町のビルの9階に居た。かなり長い揺れだった。私が生涯で経験した中で1、2を争う大きさで、しかももの凄く長い時間揺れていた様に感じられた。あくまで私の体感時間ではあるが揺れた長さは私が過去に経験した中で最も長かっただろう。

 私が過去に経験した大地震といえば、83年に発生した日本海中部地震。その時は私は弘前市の小学生だったのだが。たまたま全校生徒1200人近くが校庭で運動会の予行練習をしていて、その最中に起きた。揺れの大きさとしてはその時の方が大きかった様に感じる。当時の弘前の震度を調べたら震度4で、今回の東京での震度は5弱なのだが、震度の基準が当時とは変わっているので正確にはどちらが大きいのかはわからない。それに今回は高層ビルの上の方の階に居たので実際の揺れほどには大きく揺れなかった(そのかわり時間は長かった)ということもありうるし。

 ただし、大きさはともかく揺れた時の恐怖感は今回の方がかなり上だった。小学生の時に起きた日本海中部地震では至近距離に建物や木などの無い校庭にいたので、地面が揺れてはいるものの建物の看板や破片等が頭の上に落下してきたり木が倒れてくるといった心配は無くとりあえずその場で我慢していればどうにかなると思っていたのだが、今回はビルの9階である。物が落ちてきたり、最悪の場合ビル自体が崩壊してしまったら命を落とすのではないだろうか?それが心配でかなりの恐怖を感じた。幸い肉体的な被害は何も無かったが。

 東京に居てもかなり大きな揺れだったが、実際の震源地や各地の状況はどうだろうと思い、会社のPCから地震情報のインターネットサイトに繋がぐと、宮城県沖が震源で宮城県では震度7の様だ。これはかなり大きな地震だぞと思った。会社の窓から外を見ると20分ぐらい経っても東急大井町線上の線路上で電車が立ち往生している。幸い脱線はしていない様だ。帰りの電車がそもそもあるのかどうか気になってきた。

 その後、自宅が半径10km以内にある人は帰宅するようにとビル防災センターから指示がある。私はその中には含まれていない。Googleマップで調べたら26kmちょっとある様だ。歩くと約5時間半。翌日は休みだし、無理すれば徒歩で帰れない距離ではないのだが、2次災害のリスクもあるのでとりあえず電車の復旧を待つために会社に居ることにする。

 Googleのリアルタイム検索等で調べていると、JRは動かないらしいが東京の主要私鉄と地下鉄は夜10時の段階では大体動き始めているようだ。そしてほとんどの会社で終夜運転を実施とのこと。特に京王は料金は不要とのことだ。あれだけの地震でこれだけの早期復旧と深夜運転、そして無料と、京王電鉄には頭がさがる思いである。もちろん復旧した他の会社にもだけど。地下鉄と京王線を乗り継げば帰れるのだが、やはり混むだろう。それに私の場合会社に泊まればいいが、外で地震に遭った人は泊まるとこも無い人もいるだろうから、そういう人たちに乗ってもらった方がいいだろう。そう思って会社に泊まることにした。今の職場に泊まるのは初めてだが、忙しかった時期は何度も会社に泊まっているので慣れてるし。ただし、余震が何度もあったこともあってあまり眠れなかったが。

 翌朝、東急大井町線と南武線で府中の家まで帰ることとした。大井町線は早くから動いていたのだが、南武線は8時以降じゃないと動かないようだ。溝の口駅は混雑するだろうから少しでも混雑を緩和させようと思い、しばらく歩くことにした。2駅先の久地駅まで歩き、駅前のマクドナルドで食事をする。そして動き出した南武線に乗り府中へと帰宅。

 自宅に帰ると思いの外被害が少なく、拍子抜けした。軽いものが多少テーブルやテレビの上から落下しただけで、それ以外はほとんど家を出た時の状態が保持されていた。半分飲みかけのコーヒーが入ってテーブルに置かれていたカップも無事だったし。

 帰宅直後、弘前の母から電話があった。実は前日から実家に何回か電話をしていたのだが繋がらないので心配していたし、もし向こうから自宅に電話してきてこちらが出ずに心配をかけていた可能性もあったので、電話が通じて安心した。その時点での実家は停電はしているが水道とガスは問題なく使えているとのこと。食糧も当分食べる分はストックがあるので心配はいらないとのことだった。電話が通じないのは停電のためだったそうで、公衆電話からかけているのだそうだ。

 日本海側でなおかつ内陸の弘前はまだ停電ぐらいしか被害はなさそうだったが、宮城県を中心とした太平洋側は大変なことになってるだろうなと思ってテレビを付けたら、想像以上に衝撃的でビックリした。同じ東北の人間として同情に堪えない。大きなことは何もできないけど、節電等できる範囲のことはできる限りしないとなと思った。

 以上、長文かつ駄文の私の体験談だったが、今回の経験で思ったことは携帯(正確に言うとiPhone)でTwitterをやってて良かったということだ。デマを流す様な酷い人もいることはいるのでデメリットも理解した上で使う必要はあるのだが、日本各地の現地の状況を伝えるツイートやテレビで見たことを伝えるツイート(会社ではテレビを見られなかった)、被災者や気分を落としている人を励ますツイート等いろいろな呟きがタイムラインに流れてきたし、Googleリアルタイム検索を使って各社の公式ページよりも早く交通機関の復旧状況を知ることができた。阪神大震災の時はTwitterどころかインターネットや携帯電話すらロクに普及していなかったし、新潟の地震の時も携帯電話でインターネットにアクセスできる様にはなっていたもののTwitterの様なサービスが無くてリアルタイム性には欠けていた。今回はおそらく阪神・淡路や中越の地震よりも酷い災害なんだろうけど、情報インフラはこの15年で着実によくなって来ているので、100%ではないものの割と正確な情報をリアルタイムに得ることもできたし、知ってる人とも知らない人とも励ましあいながら行動できたのだと思う。もちろん本当の被災地の方はもの凄く大変なんだろうけど。


 最後に、今回の東北関東大地震で被災された方には心よりお見舞い申し上げます。また、残念ながら命を落とされた方のご冥福をお祈りします。